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ブログを書く目的と伊達政宗の五常訓

今日は、第3回 早稲田大学マニュフェスト研究所 人材マネジメント部会(人マネ)で終日東京でした。

そこで、なぜか私のブログと伊達政宗が話題となり、久しぶりにブログを書くことにしました。

テーマは『伊達政宗の五常訓』です。

 

ブログを書く目的とは?

本題に入る前に、今日の人マネでは「何のためにそれをするのか?」「目的は何か?」「価値基準に基づく優先順位とは?」などが話題となりました。

そこでこのブログの目的、つまり「何のためにブログを書いているのか?」について、改めて振り返ってみようと思います。

 

ブログを書き始めたきっかけは、当時ベストセラーとなっていた1冊の本でした。

その本は、死んでしまった父親が書き残した手紙から知恵と勇気をもらい、成長していく娘の姿を描いていました。

その父親の姿が自分と重なり、また苦労しながら成長していく娘の姿が自分の娘と重なって、何度も涙をこぼしながら読み進めたことを思い出します。

 

「人生は儚い。自分もいつ死ぬかわからない。であれば、自分の娘たちが生きていく上でヒントになるようなことを自分も書き残してみよう。どうせ書くなら、ブログという形にしよう。そうすれば、もしかすると娘たちに限らず誰かの役に立つかもしれない。そして、ブログを通じたやり取りによって、自分も、娘たちも、読者の方も学びを深められるかもしれない・・・」

 

そんな思いからブログを書き始めて今日に至ります。

 

 

伊達政宗の五常訓

さて、目的を再認識できたところで本題に入ります。

 

伊達政宗は、その生きざまや残した言葉などに感銘を受け、とても尊敬している人物の一人です。

 

そして、今日教えてもらった『政宗ダテニクル

長野に移動する新幹線の中で、思わず公開中の2話を観てしまいました(苦笑)

ご興味のある方はこちらからご覧ください。

 

 

この動画を観ながら思い出したのが、今日のブログのテーマである『五常訓』です。

 

仁に過ぎれば弱くなる
義に過ぎれば固くなる
礼に過ぎれば諂いとなる
智に過ぎれば嘘をつく
信に過ぎれば損をする

 

仁とは、思いやりや慈しみの意

義とは、利欲にとらわれず、あるべき姿、ありたい姿、正義を貫くこと。

礼とは、礼儀作法。仁を行動や形式として表したもの。

智とは、知識や智恵、道理など。

信とは、約束を守る、誠実である、言動一致などの意。

 

五常の徳目と呼ばれるこの五つの要素について、政宗は『過ぎる≒とらわれる』ことへの警告を残しています。

 

相手のことを想うがあまり、いうべきことが言えなかった・・・

自分が正しいと思うことを貫き通した結果、相手との関係がこじれてしまった。あるいは、その正しいと思うことが守れなくなってしまった・・・

 

私自身、そんな経験を何度もしています。

 

大切にするけど囚われないという心の在り方が大切である。そう思います。

 

 

高度に併せ持つ

 

例えば、相手を思いやる心を持ちながらも自分の正義を貫こうとしたとき、人は自然と対話の姿勢になると言われてます。

相手の意見を尊重する。自分と相手が違う価値観を持っていることを認め合う。そのうえで、自分の正義を率直に話し、相手の正義に耳を傾ける。仁と義を併せ持つことでそんな姿勢を持つことができるようになります。

 

どれか一つにこだわり、囚われるのではなく、五常すべてを高度に併せ持つ。

政宗の目指したと思われるそのような姿勢は、私が目指すところでもあります。

 

ただ、こうして書いてみると、まだまだその境地に至っていない自分に気づかされます。

人マネでの何気ない会話から、再び出会った五常訓。

 

明日はよりこれを意識して過ごしてみようと思います。

 

 

 



 

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