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学びの本質:余力があれば本を読みなさい

ていし、いりてはすなわちこう、いでてはすなわちてい、

弟子、入りては則ち孝、出でては則ち弟、

つつしみてしん、ひろくしゅうをあいしてじんにしたしみ、

謹みて信、汎く衆を愛して仁に親しみ、

おこないてよりょくあれば、すなわちもってぶんをまなべ。

行いて餘力あれば、則ち以て文を學べ。

論語 学而1-6

 

意訳

若者よ、家に入れば(中では)孝行し、外に出れば年長者に敬意をはらう。

自分自身を律して度を越すことのないように謹み、言動を一致させる。

偏った見方で特定の人だけと付き合うのではなく、広くさまざまな人々に思いやりをもって接する。

それらを日々実践していく中で、余力があるのであれば書籍などから知識を得なさい。

 

知識と経験

人の学びには、大きく分けて二つの方法があります。ひとつは頭で理解する方法。もうひとつは五感で感じ身につける方法です。知識、つまり頭で理解するために本を読むことは、効率よく多くのことを知るために有効です。しかし、何千冊の本を読んでも、読んだだけでは知っているだけであり、身につけたとはいえません。さらに、知っているだけの知識は忘れていくものです。

 

人が学ぶために欠かせないものは実践であり、実践から得た学びはいつまでも記憶にとどまります。これは現代科学でも証明されていることであり、昔から経験則として言われていることです。

 

孔子は、仁とは何かを流暢に語れることよりも、日々の実践を通じて体現することを重視していたようです。一方、孔子自身はたくさんの書物を読み、そこから学んでいたわけです。

 

つまり『知識は重要である。しかし実践を通じての学びが何よりも重要である。まずは実践を心がけ、その上で書物を学びなさい』と言いたかったのではないでしょうか。

 

知識は視野を広げ、経験は物事を深堀できる

知識と経験、どちらが重要か?と問われれば経験と答える。しかし、経験だけで全てが解決できるわけでもないと思います。例えば古典や歴史書を学んだ上で現代社会を見つめるのと、そうでないのとでは見え方が異なります。つまり、知識は多面的で広い視野を持つために必要だと実感しています。

 

どちらかだけでよいというものでもなく、またどちらが優れているというものでもない。互いに影響し、補完しあうもの。それが知識と経験です。

 

日常の中で実践を心がける。実践を大前提として知識を習得する。そんな日々を過ごしたいものですね。



 

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